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丸亀うちわ工芸品にして全国一の生産量?

丸亀うちわの始まりは諸説ありますが、江戸時代に金毘羅宮参りのお土産品として参道で販売されて広まっていきました。デザインは朱色の下地に「丸」と「金」の文字が書かれていました。その頃は「渋うちわ」と呼ばれていて、男竹(真竹)を使ったうちわに強度を強くするために柿の渋を塗っていました。

丸亀うちわの特徴は持ち手である「柄」の部分とうちわの絵柄を貼る「骨」の部分が1本の竹でできていることです。他の京うちわや房州うちわなどは柄と骨が別々になっていますが、丸亀うちわは1本の竹から何十本の骨を作り出していきます。ちなみにこの作業は「切込み」と呼ばれていて同じ太さの骨を切り込んで作っていくので大変な作業です。また、丸亀うちわは柄の部分が丸い「丸柄」と、平たい「平柄」があります。

丸亀うちわ

器具工具の発明で生産能力を拡大した丸亀うちわ

丸柄と平柄ですが、これは竹の種類や製法の関係です。初めは男竹を使った丸い柄のものを作っていましたが、当時の丸亀藩士が財政難を救う目的でうちわの製作の内職を奨励して、製法の工夫として女竹を使った平柄のうちわが沢山作られるようになりました。平柄の方が作るのが簡単ということで広まっていったということです。

柄と骨が一体になっているために、柄から骨を作る「切り込み」の作業にはかなりの熟練が必要でしたが、脇竹次郎という方が「切込機」という工具を発明したおかげで多くのうちわを作ることが可能になりました。脇竹次郎はさらに「穴あけ機」という、竹を切り込んだ後に、柄に鎌竹を通すための穴を開ける工具も発明しました。このような工具の開発もあって丸亀のちわ産業は大きく発展していきました。

現在でも日本一の生産量を誇る丸亀うちわ

現在でも団扇と言えば香川県丸亀市が一番で、日本で生産されるうちわの8割から9割がここで作られています。しかし、様相もずいぶん変わってきました。うちわの骨はプラスチック製に変わってきて、海外からプラスチック製の安いうちわの骨が沢山入ってきたために竹製のものはどんどん減ってきています。プラスチックの方が安価で製作できるので特にノベルティ業界ではプラスチック製の方が圧倒的に多いです。夏になると花火大会とかお祭りなどで広告の入ったうちわが無料で配布されていたりしますが、多くは丸亀市で作られているものになります。

うちわの工場へ行くと、うちわの形に印刷されたシール状の紙を自動的に剥離して、うちわの骨が機械にセットされていて自動的にうちわの骨にシールを貼っていく機械などもあります。昔ながらの内職の人が1本1本紙を貼っていくという姿もあまり見られなくなりました。自動化で1日に数百本、数千本といった大量のうちわを製造することができるようになりました。丸亀うちわは古い竹製の団扇を作りながら、新しいプラスチック製のものも作っていて、古いものと新しいものをうまくミックスしています。

金毘羅宮の参道でお土産に「丸金」のうちわを買おうとお店を覗いてみてもプラスチック製のものが目立っています。お土産用にはちょっと奮発して竹製のしっかりしたものを選びたいですね。

関東のうちわ製造の聖地「房州うちわ」

房州うちわはご存じでしょうか。最近になって伝統的工芸品に指定されたので知った方も多いかと思います。江戸時代に江戸の産業を支えていたうちわが、どんなきっかけで館山市へ移ったのか、多数の工程によりこのうちわが作られているのかなどをご説明したいと思います。

関東大震災を契機に生産拠点が移転

中国から京都へ伝わったうちわ作りですが、関東に伝わったのは江戸時代でした。房州うちわの生産が行われていたのは安房の国で、房州とも呼ばれていました。房州は現在の南房総市と館山市と同じくらいの大きさになります。その中でも那古、船形、富浦(いずれも館山市)という町が中心となっています。

房州うちわの特徴は持ち手の部分である「柄」が丸くなっていること、広がっていく竹の根元部分である「窓」が半円の格子模様になっていることがあげられます。日本に入ってきたころのうちわは木製でしたが、手軽に安くできるからと素材が竹に変わってきました。

もともとは江戸でうちわが生産されていましたが、材料の竹は房州から取り寄せていて、関東大震災をきっかけにして生産拠点が房州へ移っていきました。房州は元々うちわの材料である女竹の産地として江戸へ出荷されてたため房州房州にうちわの生産拠点を移すことは都合がよかったのですね。

手内職から全国有数の産業へ

生産として都合が良かったのは材料の竹が豊富にあっただけでなく、生産をする人が沢山いたということもあります。房州は漁業が盛んで男たちが海へ漁に出た後で奥様方は家でうちわ生産の手内職をしていました。このようなことが重なって全国三大うちわの一つとして君臨するまでになりました。最盛期にはなんと年間800万本ものうちわを製造していたということは驚きです。

平成15年には経済産業大臣指定の伝統的工芸品に指定されました。これは千葉県では初の指定で全国200品目以上ある伝統工芸品のひとつとなったことは、千葉県に事業所を置く弊社としてもうれしいことです。今では贈答品として、装飾品として使われることが多くなりました。

房州うちわ

複雑な工程から生み出される美しいうちわ

房州うちわを作るには竹が必要になりますが、南房総市周辺には質のよい女竹という竹が豊富にありました。一定の細さの1本の竹から団扇に仕上げることが出来るのは2本から3本程度になります。ここから数多くの工程をすべて手作業で仕上げていきます。

工程数は21もあり、まず竹の選別から始まり、10月から1月の寒い時期にうちわの材料として最適竹を伐採していきます。一定の太さの竹を選んでその皮を向き水で洗って磨いていきます。その後は竹を編んで、骨の曲がりを火で炙って直していきます。そして紙や布を貼って断裁してさらに形を整えて仕上げとなります。熟練をもって作業しても、一人の職人がうちわを完成できる本数は1日あたり5本程度というから根気のいる作業です。

このように沢山の工程によって丁寧に作られている「房州うちわ」。日本のモノづくりの良さを感じさせる逸品です。

日本のうちわの元祖!京うちわ

京うちわは「みやこうちわ」とも呼ばれています。京都の文化や町の発展とともに産まれ育ち、伝統工芸品として今日まで利用されてきました。昭和50年代に伝統工芸に指定されて、「京うちわ」は京都扇子団扇商工協同組合の登録商標となっています。伝統的な工芸品である京うちわをこのようにして守っていっているのですね。

京うちわ

一般的なうちわとの大きな違いですが、一般的なうちわは団扇の柄と骨が一体になっていて、そこに絵柄の入った地紙を貼って作成します。それに対して京うちわは、本体の部分と柄の部分を別に作っていき、うちわの柄の部分を最後にうちわ本体に挿し込んでいって作成します。写真で説明しますと、うちわの骨に地紙を貼ったものに挿柄を地紙部分に挿して作ります。

この京うちわに等級があって、その等級は何で決めるかというと、「骨の数」なんです。骨は細い竹ひごを使っていて、50本から100本もの骨を使うものもあります。ちなみに50本の骨を使ったものは「下級品」で本数が増えるほど高級品になって100本の骨を使ったものは装飾的な飾りうちわとなります。全てが手作業でこれだけ手間をかけていますので、安い金額のものでも数千円、高いものは数万円にもなります。(金額がもっと高いものもあります。)

絵柄は透かし細工や木版画などの工芸的な技法が取り入れられていて、何とも涼しげな雰囲気を演出してくれます。また、手で千切った色のついた和紙を貼ったデザインも粋な感じがします。うちわを仰いで単に涼しいだけでなく目でみただけでも涼しさを感じさせてくれます。

京団扇2

 

京うちわの形は丸型の他には、角型や羽子板型などがあり、もっとも面白いのは千鳥型なんていうのもあります。ただでさえ骨の数が多いのに形状まで工夫して作っているというのは、なんて手先が器用なのかと感心します。

京うちわの用途としては、御所うちわとも呼ばれていたように宮中で使われたいたのがメインになります。他には軍扇、軍配といった勝敗にかかわる場所で使われていたこともありました。また賑やかな祭りの場所や緊迫した火消しの場所で使われていることもありました。あとは透かし団扇といって蚊やハエなどを追い払うという風を送る目的とは別の目的でも使われていました。このように京都というかつての日本の中心にあって様々な文化とともに京うちわも利用されてきました。

普段使っているプラスチック製のうちわはすぐに捨てられてしまうものが多いですが、京うちわのような伝統工芸品に触れてみるものもたまにはいいかもしれませんね。

オリジナルうちわが安いです

団扇と扇子の違いとは?

弊社ではオリジナル団扇(うちわ)を作成していますが、時々オリジナル扇子の製作は請け負っていないのですか?というご質問をいただきます。また、団扇と扇子はどう違うのかというようなご質問もいただきます。扇子、団扇これらは「扇」という漢字が入っていますがどのように違うのでしょうか?

団扇と扇子の違いタイトル

団扇と扇子の違いを歴史から見る

団扇と扇子のどちらが歴史的に古いかというと、団扇の方で、3世紀半ば頃(古墳時代)に中国から伝わったとされています。この頃は「うちわ」とは言わずに「さしば」「翳」と呼ばれていました。現在のうちわより柄がながくて形も大きなものでした。中国では権威の象徴として女帝などの位の高い人によって使われていました。日本でも使われていたのは一般の庶民ではなく、職位の高い人を中心として顔を隠したり、虫などを追い払ったりするためのものでした。また全てが木材を使っているので今のうちわと比べて重かったようです。とても扇ぐために使うのは厳しいでしょうね。

さしば(翳)の写真

一般庶民へと団扇が広がったのは、室町時代に入ってからで、素材竹を使ってさらに和紙の加工技術も加わって軽くて丈夫なものが作れるようになりました。こうして今のうちわのような使い方ができるようになりました。そしてデザインも単調なものから、俳句や和歌などを書いたもの浮世絵などの芸術性の高いものが印刷された複雑なものまでありました。

一方、扇子はといいますと、団扇と同じく中国から伝わったように思えますが、実は日本で生まれたものです。当時は扇(おうぎ)、檜扇(ひおうぎ)と呼んでいて扇ぐためのものではなく装飾品として使われていました。扇子も初めは一部の貴族や神職者といった高貴な人達に中でしか使うことができないものとなっていましたが、やがて芸能や茶道などに用いられるようになってから一般庶民にも普及するようになりました。

団扇と扇子の言葉の違いを見る

団扇の「団」とはどんな意味があるのかと言いますと、「かたまり」とか「丸くまとまった」というよな意味があります。初めの頃のうちはは丸形でしたので、丸くなった扇ぐものということで「団扇」になりました。また扇子についてですが、辞書によれば「子」というのが二字熟語を作るための接尾語ということです。もともと扇子も、団扇も「扇」と呼ばれていましたので、扇を折りたたんで持ち運びできるようにしたものを扇子と呼ぶようになりました。形状としてはかなり違いがありますが、機能としては扇いで涼むためのものとして定着してきたのです。

団扇、扇子は世界を巡って再び日本へ

日本で発祥した扇子ですが、これが中国へ伝わって大きく発展して、さらにヨーロッパの諸国にまで伝わるようになりました。中国やヨーロッパの古い映画などでも羽の扇子を見ることができますが、これは日本から伝わったものということを知ると日本も結構影響力を持っていたということが分かります。フランスでは貴族の女性などが羽根のついた扇子を使ってコミュニケーションをとっていました。

そんな羽根の扇子ですが、バブル時代の末期にはディスコで羽根のついた扇子を、お立ち台の上で振りかざして踊っている女性が沢山いましたね。あの扇子は中国のもので日本にあった中国の雑貨店で売られていたものを使っていたそうです。日本で生まれた扇子が海外を回って日本へ再上陸した瞬間ですね。団扇も海外では日本を感じさせる和のアイテムとして販売されていますが、海外のデザインが入ったものが国内で販売されたりしています。

団扇と扇子の違いがお分かりいただけたかと思います。弊社では団扇同様に扇子の小ロット製作もできないかと検討はしていますので、自信を持って販売できるようになりましたら商品ラインナップしていこうと考えています。

オリジナルうちわを小ロットで製作しています。